社会不安?地元愛?
模索途中の未来への手がかり
入社のきっかけは?
D・Y「前職は大阪、東京、松江と転勤が多い建築設計事務所に勤めていました。妻が幼なじみで、子供が生まれてから地元に戻って仕事をしたいと考えるようになり、アート建工に転職したんです。Y・Sさんは? 鳥取県庁の職員だったと聞いてますが?」
Y・S「そうなんです。どちらかというと僕は、田舎は少し人の目が煩わしいというか、他の世界も見てみたいという気持ちもあって、大学も京都でした。でも結局、外へ出てみても、確かな感触は得られず、モヤモヤと就活している時に東北大震災が起こって。多くの人がそうだったように、故郷を振り返り、鳥取に帰りました」
D・Y「僕の仲間うちにも、一度外に出て戻ってきたUターン組がけっこういますよ。家族や親戚、周りに友達もいれば、安心して暮らしていけますよね」
Y・S「ところが僕は、県庁に入っても地元に根を下ろしたとは言えない心境で。実は1年間、東北の復興支援で宮城に派遣されたのですが、その時に感じたことが今に繋がっているんです。東北の人たちは『資源がない、何もない、都会はいいなぁ』と言いながら、『採れたてのワカメは最高だ、牡蠣は日本一だ』と豪語する。あんなことがあっても、地元が大好きなんだなと思わされるシーンが多々ありました。一方で、自然や食の魅力は鳥取だって負けないのに、僕はそのことにさして恩恵を感じていない。その差は何なのだろう?と。答えを追い求めている自分がいるのに、一人ではどうにもできないから、考えたところで仕方がないと蓋をしていました。そんな時にアート建工の魚谷社長と出会って……」
D・Y「転職サイトへの登録がきっかけで、社長からアプローチがあったんですよね?」
Y・S「はい、実は他社もいくつか受けていたんですが、魚谷社長の直接面談で目が覚めたというか……地元でもできるんだ、という強い言葉に心が突き動かされたんです。アート建工の発祥地の境港には、みずきしげるロードがあって土日は観光客で賑わいます。でも、月〜金の平日は閑古鳥。そういう状況を覆す、地元がちゃんと潤って経済が循環していく仕組みを作らなければいけないという、社長のビジョンは明確で。自分にも何かできそうだと思ったんです」